東大生の読書ライフ

東大生の読書ライフ

東大生による書評ブログ。

林業という哲学

f:id:tantan-giggles34:20180618235000j:plain

「山と村の思想」(1979年、榛村純一、清文社)

 

日本の国土の実に3分の2は森林です。

(私はこのことを農学部の授業で初めて知りました。都市しか知らない者には、日本が山がちであることはなかなか実感しにくいのです。)

 

今の日本では安い外国産の木材をどんどん使うようになったため、林業は斜陽産業と呼ばれて久しいです。

国産材の生産は採算が取れないために撤退する人が相次ぎ、山村は過疎化し、充分に木が育っているのに放ったらかし状態の山が多くあります。

 

鬱蒼と茂る森はいかにも環境に良さそうですが、実際は木は成長するために二酸化炭素を吸収するため、育ちきってしまった森の木々は実は人間と同じように酸素を吸って二酸化炭素を吐くのみで、二酸化炭素削減の観点からいえば全くエコではないのです。

 

地球温暖化を本気で考えるなら、育った木はどんどん切って使い、新しい木を植えないといけないのです。

今こそ、林業を復興させる時だ!!

 

最近では映画にもなった「神去なあなあ日常」(三浦しをん)の影響もあり、林業に飛び込む若い人たちも増えているみたいです。

 

 

森林の機能

 

教育思想集団となる機能<思想運動体となる機能、奉仕・無償機能>a.山村、自然、林業、木材に関する技能集団としてb.大都市的価値観、効率本位の石油文明への批判集団としてc.生きる醍醐味(本物の味)を知る少数精鋭の信条集団として(p102 

 

林業の機能」として、よく知られている「保水機能」「癒し」などと並んでこれが書いてありました。

 

この本のタイトル「山と村の思想」にもあるように、榛村さんがこの本で伝えたかったメッセージはまさにこれなのだと思います。

 

榛村さんは、ご自身が林業に長年携わっってきたということもあり、林業に対する思い入れが深く、あまりに深すぎてカルトめいた感じも否めませんが、話半分で見ても共感できました。

 

石油文明への批判は、私が常日頃から思っていることです。

石油の枯渇やゴミ問題が深刻化する中、なぜ日本ではペットボトル入りのコーヒーやビール、ごま油が新しく売り出されるのでしょうか。

欧米では使い捨てプラスチックの規制がどんどん厳しくなるというのに。

日本は世界の流れに逆行しています。

 

今後、石油に代わるものが木材であり、これからは林業の時代だと私は思っています。

 

 

雌として扱われる女性

 

山村の活力維持において最も大切なことは、嫁(山村婦人)の問題である。戦前、農家の嫁は、「乳役兼用無角牛」が理想とされたが、今でも山村の嫁には、過疎のしわ寄せもあって、これに類したことが要求されているかにみえる。したがって嫁がこない。自分の嫁は都市へやりたいが、自分の家へは農林業をやる嫁をほしい、というのはもう通用しないことであろう。あえて通用させたとしたら、山村の農林家は劣性遺伝化していく危険がでてくる心配がある。(p65

 

私は女性なので、この現代のジェンダー観から大きく逸脱した「乳役兼用無角牛」を見て絶句してしまったのですが、この本が1979年に書かれたことを考えると、まぁ仕方のないことなのかも知れません。

この他にも「劣性遺伝化」など、女性蔑視、また人権侵害的表現が端々に出てきてちょっと引っかかってしまいました。

 

とはいえ、これは榛村さんの意見というよりは当時の日本の考え方の表れだと思います。

榛村さんの論調は「乳役兼用無角牛」を批判していることを念押ししておきます。

 

何かとうるさい今となっては表立ってこのようなことは言わないまでも、もし女性に対する「乳役兼用無角牛」という考え方が根強く残っているとしたら、私としては残念だし、そんな社会に出て行くのはかなり不安です。

(いくらなんでも牛ってひどすぎるだろ、牛って