東大生の読書ライフ

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東大生による書評ブログ。

なぜ、人を殺してはいけないの?

罪と罰〈上〉 (岩波文庫)
長いので、こちらの文庫本バージョン(上中下)がかさばらず読みやすかったです。
 
私はNHKの100分de名著を最初に見てから読みました。
この番組は本当にオススメです。
見ていなかったら、絶対に読破できなかったと思います。
番組自体はちょっと古いですが、NHKオンデマンドでいつでも見られます。
 
ドストエフスキー『罪と罰』 2013年12月 (100分 de 名著)

NHK出版 (2013-11-25)
売り上げランキング: 346,449

あらすじ

ロシアの貧乏大学生ラスコーリニコフは、学費が払えず大学を中退してしまう。
自分には能力があるのにそれを活かせない鬱憤から、他人を軽蔑するようになり、「しょうもない人間は殺しても構わないし、そういう人間が死ぬことが社会全体として良い結果になることもある」という持論を持つに至る。
そして彼は悪徳高利貸の老女とその妹を殺害してしまう。
 
タイトルの意味
 
この「罪と罰」というタイトルですが、100分de名著では「なぜ殺人は犯罪なのか、人が本当に恐れるのは罪の意識か、それとも罰か」という問題提起でした。この小説では、監獄で罰を受け、潔く罪の償いをする囚人たちはむしろ幸せそうに描かれており、本当に怖いのは罪の方であるとしています。
さて、この小説は全体的にキリスト教的です。キリスト教的に解釈すれば、「罪は神からの罰である」という考え方もできるのではないでしょうか。
人間には自由意志があります。よくない考えというのはありますが、究極的にはそういう(例えばラスコーリニコフのそれのような)思想を持つことを禁止することはできません。
思っているだけで何もしなければ、特に悪影響はないことになりますが、ラスコーリニコフのように、ヒーローになろうとして一歩踏み出してしまうと、実際に犯罪を犯してしまうことになります。これは、神に反する悪い考えを持つことに対する、神からの罰(天罰)ではないでしょうか。
実際、ラスコーリニコフは殺人は罪ではないと結論づけていながら、自分は殺人をしたことで非常に苦しみます。他人を軽蔑し生命を抹消した経験があるので、自分はもはや他者とつながることが不可能だと感じ、社会的な存在としての自分の生命が失われてしまったからです。
 
 

歴史上の偉人は犯罪者なのか?

 

世界の歴史は戦争の歴史と言われます。

長い人類の歴史の中で様々な変革が行われ、その中でたくさんの人々の命が失われました。

 

しかし、命を奪った人間は英雄として後世まで讃えられる場合もあります。

人の命は平等に価値があり、奪うことは罪になるのなら、このことはどう考えたらよいのでしょうか。

 

私が思ったのは、歴史上の変革は地殻変動のようなものかもしれない、ということです。

 

例えば、ヒマラヤ山脈は大昔に島だったインドがユーラシア大陸に激突した結果できたと地理の時間に習いました。

 

そして世界一高い山・エベレストが誕生した訳ですが、そんな激烈な地殻変動が起こったらきっと周囲の生物たちは死滅したことでしょう。

 

エベレストは崇拝の対象にもなりますが、この地殻変動自体は単なる事実で、ヒマラヤ山脈がができて良かったとか悪かったとか、そういう話ではない気がします。

 

歴史にも地殻運動のように流れがあり、人間たちの意思とは関係なく動くときは動く。

あとは、戦争での大量殺人を正当化するために、英雄をわざと作っているだけです。

本当は戦争時においても一つ一つの殺人が罪だと思いますし、「正しい目的」のためなら許されるということはないと考えます。

 

ラスコーリニコフの「正義のための殺人」という考え方の方が暴力的なのであって、だからこそ神から罰せられてしまったのです。

 

 

償いの出発点

 

ラスコーリニコフが、最後に十字路で跪くシーンがあります。

(すみません、なんのことやらですよね(-。-;)

 

あのシーンですが、なぜ彼が自分の罪を認めるという不本意なことをしながらも幸福感に包まれていたのかというと、殺人という罪を犯したことにより社会に見放されて完全に孤独になったと思ったのに、神様だけは自分を見捨てていなかった、自分のことを見ていてくれて、罪という罰を与えてくださったのだ、と実感したからだと私は解釈しました。

 

 

人間みんな似た者同士

 

ラスコーリニコフは相当ストレスが溜まっていたと思いますが、それにしても彼のように「しょうもない人間は死んでも構わない」という考えを、ふと持ったことはないでしょうか?

 

ちょっと、ぎくっとした人もいたりして...

私も例外ではありません。

 

でも、その「しょうもない」というのは自分の狭い了見での決めつけだと思うのです。

実際、ラスコーリニコフは殺害した老婆の人生の全てを知っていたのでしょうか。

 

完全な悪人というのはいないと思います。

どんなに悪徳でも、その老婆に良いところは一つくらいあったはずです。

そして、ラスコーリニコフは老婆を断罪し生命を抹消しても罪にならないほど完全な人間だったのでしょうか。

小説ではむしろ、彼のいびつな(歪んでしまった)人格が目立ちます。

 

難しいことではあると思いますが、人間は皆似た者同士、どっこいどっこいなのだから、助け合って生きる努力は大切だと思います。

 

長々と書いてしまいました...引用も全然してないし、わかりにくいですよね(-。-;

ちょっとでも引っかかる部分があったら、ぜひ読んでみてください!

100年以上経った今も読み継がれている意味がわかりますよ。

 

今年は名著と呼ばれるものを積極的に読んで、教養ある大人になりたいと思ってます!!(いつまで続くかな...(^◇^;))