あこがれの気持ちって、どう説明したらいいんだろう
「あこがれ」(川上未映子、2015年、新潮社)
言葉にできないものを言語化する
小説を書く人って、言葉にならないものを言語化するプロなんだな、とこの小説を読んで思いました。
例えば、小学生の男の子がサンドイッチ屋さんのお姉さんに憧れる気持ちを、体のどこの部分がどうなって、こんな感じというように表しているのです。
私はそんなふうに何かに憧れた経験があるわけではないので、「そうそう、そうだよね!」とはなりませんでしたが、言葉を操って「あこがれ」のようなふわふわした形容しがたい気持ちを表すことって多分普通の人にはできなくて、職人芸なんだなと思いました。
10年以上も会っていない父親への気持ちは?
アオさんは私の顔をみて話をつづけた。
「すれ違っても気づかないし、もし父親ですって挨拶されても、へえそうですか、ぐらいにしか思わない。それすら思わない。もしあなたのお父さんが病気になったりひどいめにあったりしても、知らない人の災難をテレビで見て、ああ大変だよねって思う以上のことは、良っっさい思わない。ううん、それすら思わないかも。極端な話、死んでもなんとも思わない。ほんとになんとも思わないの。だから、どうしてあなたが今日、そういう実生活ではまったく関係のない、会ったこともみたこともないわたしのことをみてみたいって思ったりしたのか、それがほんと不思議なんだよね。ある意味で、その色々を顧みない好奇心っていうのかな、すごいと思うんだけど。」(p216)
主人公の女の子が、母親の違う(父親だけが同じ、半分血が繋がった)お姉さんを探して会いに行くという話がありました。
ネタバレになってしまうのですが、苦労して探し当てたお姉さんはびっくりするくらい覚めていて、父親のことなどなんとも思っていないようなのです。
主人公の女の子は当然、苦しみます。
しかし、物心ついた頃からいなくて、全然会っていなかったら父親なんてそんなものかなと、妙に納得してしまいました。
多分、親を慕う気持ちっていうのは子供時代のある時点で醸成されるもので、なんらかの事情でその時期を逃してしまうと、もう他人になってしまうのではないでしょうか。
もちろん人によるのでしょうが、血の繋がりがあるというだけで、全然関わりがないのに家族みたいな気持ちになるというのは結構無理があるような気がします。
独特の言語センス
この小説は文体が、まるで本当に小学生の心の中に入ったかのようになっています。
普通、主人公が小学生であっても視点は客観的であったり、大人目線であったりするのですが、この本は本当に小学生になったような感じになります。(読めばわかります)
川上さんの言語センスが存分に味わえる一冊です!