道徳の教科化、その背景と価値観の押し付け
今日は、講義で道徳の教科化の話が出ました。
2018年度から小学校で、2019年度からは中学校で道徳の授業が教科になったことはご存知でしょうか。
これ、見るとすごく考えさせられます。
そもそも、道徳が教科になったのはいじめ問題をなくすためみたいです。
詳しくはこちらの記事が参考になります。
この記事で紹介されている本がめちゃくちゃ気になります。
翔太と猫のインサイトの夏休み―哲学的諸問題へのいざない (ちくま学芸文庫)
内容が深くて面白そうなので、今度読んでみます。
動画で紹介されている「お母さんへのせいきゅうしょ」は私も小学生の時に道徳の教科書で読んでいて、今でもよく覚えています。(授業中に授業そっちのけで一人道徳の教科書を読みまくっていたので、授業で扱ったかは覚えていません。)
内容は子どもが家事手伝いにお金を請求したところ、お母さんから日々の家事内容に0円と書かれた請求書が渡された、というものです。
私もこの物語を読んで「お母さんの無償の愛」とは思わなかったですね。
私の場合は「こんなこと親には絶対言えない(鳥肌)。もし言ったとしたら、手伝いで金を請求しようなんて、恥を知れというメッセージで無償の請求書が来たんだ」と思います。
こんな感じで、一つの物語を読んでも、そこから感じることやそこに滲み出る価値観は人それぞれ違うわけです。
しかし、限られた時間内でしかも数値化しないにせよ評価をしなければならないとなると「無償の愛」という単一の価値観を押し付けがちになります。
今日の講義で先生は、このような単一の価値観(日本政府が植え付けたい価値観)に子ども達が「教化」されていく状況に警鐘を鳴らしていました。
教科書も文部科学省の認定を受けたもの、つまり政府の検閲済みなわけですよね。
本当にいい先生が、多様な価値観を受け入れる形で授業を毎回してくれるならいいですが、道徳という教科を教えることの負担が大きいと思いますし、多くの学校では単一の価値観に落とし込むという形で授業が行われていくのではないでしょうか。
結局、政府に都合の良い人間を生産するための仕組みに思えて怖いです。
「お母さんのせいきゅうしょ」なら、お母さんっていいよね、無償の愛だよね、家族って素敵だね、じゃあ将来子供作ろう
→少子化の改善
みたいな感じで。考えすぎでしょうか。
やはり、番組でも小学校の先生が言っていましたが、自分の頭で考えるべきだと思います。
人は皆違うのだし、置かれている環境も違います。
それに道徳というのははっきりとした答えや形があるわけではありません。
道徳観は赤ちゃんでも持っているそうです。
子どもの方が大人より道徳観が未熟だから教えてあげないといけない、とも限らないと思います。
これに関してはこちらの記事で詳しく書いていますので、よろしければぜひ!
道徳の教科化、あなたはどう思いますか?