東大生の読書ライフ

東大生の読書ライフ

東大生による書評ブログ。

可愛い表紙の本

f:id:tantan-giggles34:20180612213830j:plain

「ふる」(西加奈子、2012年、河出書房新社

 

表紙が可愛いくて、つい手に取ってしまった一冊。

時々、こういう本の選び方をします。

普段なら読まないような内容だったり、可愛い表紙にもちゃんと内容とリンクした意味があったりしてなかなか楽しいです。

(せっかくの可愛い表紙なのに、光ってうまく撮れませんでした…是非、現物を手に取って見てください( ´ ▽ ` ))

 

自分が他人にどう思われているかを過剰に気にしてしまう、主人公の花しす(かしす、と読みます)。

1日の会話のほとんどを録音し、深夜に一人で聞き直して復習するという変な癖を持っています。

 

みんな、自分のことは、忘れて欲しくないんだ。でも忘れられて、忘れて、そして今を生きてる。あなたは、誰かと能動的に関わってゆくことが、忘れられない確かな方法であるということを知っているはずだ。でも出来ない。出来ないから、せめて、記録しておこうとしている。(中略)みんな、自分が好きなんだ。でも、愛があれば、誰かを愛してるって、強い気持ちがあったら、その人を傷つけることは、怖くなくなるはずなんだ。(p224〜225) 

 

うーん、そうでしょうか。

確かに、愛の名の下に人を傷つけることは怖くはないのかもしれないですね。

 

それだけに、故意に傷つける以上に無自覚だから、気をつけなくてはならないんじゃないかな、と私は思います。

 

私は「愛してるから」というエゴで傷つけてくる人は嫌いだし、私自身も独りよがりな愛を押し付けることがとても怖いです。

 

しかし、どんなに怖くても、人は人と関わらないと生きてゆけない。

この小説は「祝福」という言葉で締めくくられています。

正直意味はよくわからなかったのですが、ジレンマを抱えながらも、あなたの前途に幸あれ、頑張れ、というエールかな?と私は受け取りました。

  

 

 

小説っていろんな解釈がありますよね。

私は鈍感なのでトンチンカンな読みをしてしまうことも多いのですが、自分の経験とリンクするような部分があると、パッと意味がわかったりすることもあります。

そんな時はちょっと嬉しいですね。

 

普段は小説を全然読まないのですが、なんだか最近は人生に悩んでいて(?)小説を読みたい気分です。

一緒に暮らすって、難しい

f:id:tantan-giggles34:20180611224000j:plain

「二人で生きる技術」(大塚隆史、2009年、ポット出版

 

ゲイの大塚隆史さんが、40年に渡って男性同士のパートナーシップを築き上げるために奮闘を続けることでわかった、二人で生きるためのコツを伝授します。

全てが経験に裏打ちされていて、説得力があります。

 

タイトルに惹かれてこの本を読み始めたのですが、大塚さんがゲイだと最初に書いてあって少しびっくりしました。

男女がどうやってうまくやっていくかを書いてある本だと思ったからです。

しかし、二人で生きる=男女 と即座に連想してしまうのは、このご時世ではもう古い考え方なのかもしれませんね。

実際、異性のカップルに対しても参考になることがたくさん書いてあり、とても参考になります。またゲイカップルの実際についても知ることができて、面白いです。

 

長く付き合う秘訣

 

付き合い始めには、二人の人間はお互いに向き合っているものだけど、ある程度の時間が経ったら、二人で同じ方向を向いていくことが大切なんです(p90) 

 

 これ、なかなか深い言葉ですよね。

私はその域に達することができるだろうか、相手の見ているものを自分も一緒に見ることができるんだろうか…と考えてしまいました。

私は基本的に人のことはどうでもいいたちなのです。

どうでもいいからこそ干渉せず、それなりにうまくやってきたことも否めませんが。うーん、難しい…

 

なぜ人は一緒に暮らすのか

 

便利っていうのもホント。淋しくないからっていうのもホント。もちろん大好きだし…。でもね、そういうのを言った後に、全部言い切ってないなぁ、なんか言い残してるなぁっていう感じが心の奥の方にあるの。その、言葉にし難い何かがタックと付き合っている理由だと思う。それがあるうちは大丈夫なんじゃない?(p16)

 

なんで僕と一緒に暮らしてるの?という大塚さんの問いに対する、パートナーの返事です。これも深いなぁ。

この「言葉にし難い何か」こそが、二人の生活を素晴らしいものにしているのだそうです。

あえて言葉にするならば、「愛」でしょうか?

 

もちろん、愛のある生活はとても素晴らしいものだけれど、大塚さんは異様なまでに「一緒に暮らす」ことに執着し、血の滲むような努力をします。

 

私は結構冷めているので、すごいなぁと思ってしまうのですが、大塚さん的には愛する人と一緒に暮らすことが理想であり、それを追い求めるのが趣味みたいなものなんだそうです。

 

それを読んでちょっと納得しました。

例えば山登りが趣味の人に、なんでそんな疲れることをわざわざやるのか、と聞くのはちょっとナンセンスな気がします。

その人は、山を歩くこと、景色を見ることなどが心から好きだから、少しくらいつかれようと楽しんでやるはずです。

 

だから、一緒に暮らすことも自分の好みに照らし合わせて、気に入ればやればいいし、二人の暮らしが好きじゃないなら無理してやることもないのかな、と少し気が楽になりました。

 

大塚さんは今60歳を過ぎていらっしゃいます。

パートナーシップを極めた人生の先輩として、大変参考になるアドバイスが満載ですよ!

  

 

あこがれの気持ちって、どう説明したらいいんだろう

f:id:tantan-giggles34:20180611221558j:plain

「あこがれ」(川上未映子、2015年、新潮社)

 

言葉にできないものを言語化する

小説を書く人って、言葉にならないものを言語化するプロなんだな、とこの小説を読んで思いました。

 

例えば、小学生の男の子がサンドイッチ屋さんのお姉さんに憧れる気持ちを、体のどこの部分がどうなって、こんな感じというように表しているのです。

 

私はそんなふうに何かに憧れた経験があるわけではないので、「そうそう、そうだよね!」とはなりませんでしたが、言葉を操って「あこがれ」のようなふわふわした形容しがたい気持ちを表すことって多分普通の人にはできなくて、職人芸なんだなと思いました。

 

10年以上も会っていない父親への気持ちは?

 

アオさんは私の顔をみて話をつづけた。

「すれ違っても気づかないし、もし父親ですって挨拶されても、へえそうですか、ぐらいにしか思わない。それすら思わない。もしあなたのお父さんが病気になったりひどいめにあったりしても、知らない人の災難をテレビで見て、ああ大変だよねって思う以上のことは、良っっさい思わない。ううん、それすら思わないかも。極端な話、死んでもなんとも思わない。ほんとになんとも思わないの。だから、どうしてあなたが今日、そういう実生活ではまったく関係のない、会ったこともみたこともないわたしのことをみてみたいって思ったりしたのか、それがほんと不思議なんだよね。ある意味で、その色々を顧みない好奇心っていうのかな、すごいと思うんだけど。」(p216) 

 

 主人公の女の子が、母親の違う(父親だけが同じ、半分血が繋がった)お姉さんを探して会いに行くという話がありました。

ネタバレになってしまうのですが、苦労して探し当てたお姉さんはびっくりするくらい覚めていて、父親のことなどなんとも思っていないようなのです。

主人公の女の子は当然、苦しみます。

 

しかし、物心ついた頃からいなくて、全然会っていなかったら父親なんてそんなものかなと、妙に納得してしまいました。

 

多分、親を慕う気持ちっていうのは子供時代のある時点で醸成されるもので、なんらかの事情でその時期を逃してしまうと、もう他人になってしまうのではないでしょうか。

もちろん人によるのでしょうが、血の繋がりがあるというだけで、全然関わりがないのに家族みたいな気持ちになるというのは結構無理があるような気がします。

 

独特の言語センス

この小説は文体が、まるで本当に小学生の心の中に入ったかのようになっています。

普通、主人公が小学生であっても視点は客観的であったり、大人目線であったりするのですが、この本は本当に小学生になったような感じになります。(読めばわかります)

 

川上さんの言語センスが存分に味わえる一冊です!

  

あこがれ
Posted with Amakuri at 2018.6.11
川上 未映子
新潮社