東大生の読書ライフ

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東大生による書評ブログ。

食を、人生を楽しむことで健康的に痩せる

 

フランス女性は太らない―好きなものを食べ、人生を楽しむ秘訣 (日経ビジネス人文庫)

フランス女性は太らない―好きなものを食べ、人生を楽しむ秘訣 (日経ビジネス人文庫)

 

 

2005年ごろ出版され、アメリカをはじめ世界中でベストセラーとなった一冊。

10年以上経った今でも新しい、普遍的な内容のダイエット本。

この本はよくあるダイエットの方法論とは一線を画しており、食生活の哲学的な部分にフォーカスしています。

この本の通りに実践すれば、生き方が大人っぽくなると思う。

 

ここでは、読んでいて私が「なるほど」「やってみよう」と思ったことを3つピックアップしてみます。

 

おやつは食べていい

 

いつもちょっとしたものを、あなたの肉体がおやつだと認めるようなものをポケットに入れておくこと。それは手軽であるばかりか、強力な精神的抑止力を発揮する。自分の中の小さな悪魔を黙らせるのだ。それがそこにあるとわかっていれば不安は減り、ほしいという思いがなだめられる。(p61)

 

 

極端な空腹はダイエットの敵。

これを読んで、私はカカオ70%以上の板チョコを常に携帯するようにしました。(ビターチョコが最近のマイブーム)

 

食べることを真剣に、心から楽しむ

 

ワインは食事の完璧な相棒であるばかりか、精神を刺激する複雑な味の組み合わせを創造し、はるかに満足するひとときを提供してくれる。さらに食事の儀礼的な価値を高め、食べることを別の観点から見せてくれる。ワインは真剣で陽気で洗練された贅沢な雰囲気をかもし出してくれ、ぼんやりと、いい加減な気持ちで食べる傾向を払拭してくれる(ワインのボトルを開けるなら、テレビの前で食べることはありえないはずだ!(p166)

 

 

ダイエットは食欲との闘い、と思われがちですが、この本では逆に食べることを心から楽しめば、自然と痩せることができると説いています。

確かに、食べ過ぎている時って本当に食べたいわけでもないのになんとなく惰性で、という場合が多いですよね。

貧乏学生にはワインと共に食事を楽しむなんて雲の上の世界ですけどねー。

 

「歩く」~ダイエットに近道なし~

 

人生で長期にわたって続けられないような厳しい摂生は必ず失敗すると、フランス女性走っているし、食べ物ではなく、退屈こそ「敵」だと認識しているのである。

 

 

生活の中でたくさん歩くことは最もシンプルです。

確かに、ジムでマシンを使って走るのってすごく退屈な感じがして私は続きませんでした。

億劫がらず、ちょっとそこまで歩いてお買い物に行くだけでも楽しいし、これならわざわざ運動のために着替えたりする必要もありませんよね。

 

最後に

 

最近私は「あすけん 」というスマホアプリとPCサイトを使ってレコーディングダイエットを始めました。

すごくいいですよ!

これは無料でも使えて、栄養のアドバイスや他のダイエッターの日記なども見られます。

 

この本はアメリカ人のライフスタイルを随分とけなしていますが、アメリカで爆発的に売れたってことは許容範囲なのか…

でもわたし的には「○○人のライフスタイルは健康」っていうのは嘘だと思ってます。日本食は健康と言われますが、唐揚げ弁当とか食べ過ぎじゃないですか??

どんな食文化にも健康さと不健康さの両方があって、要するにどう食べるか、個人の哲学次第だと思います。(正論ですが)

特に私は「和食は健康的」には懐疑的ですねw

戦場にいるのは、人間。

 

戦場でメシを食う (新潮新書)

戦場でメシを食う (新潮新書)

 

 

フリーで活躍する戦場ジャーナリストの佐藤和貴さんが、戦場で食べる「メシ」にフォーカスして書いたエッセイ。

戦場で見た、人間の本質とは。

 

戦場でも、人はメシを食う

「チャイだ。チャイを持って来い」部屋の中にいたものたちに、小隊長が怒鳴った。「お茶」を持って来いと言っているのだ。確かに30分ほど炎天下の中を砲弾と銃弾にさらされてきたのだ。喉がカラカラなのは当然である。だが、ここは戦場。ましてや最前線なのだ。まさか座布団に座ってお茶を飲もうとは。(p54) 

 どんなに切迫した状況下でも、生き物であるからには人は飲み食いします。

筆者こそびっくりしていましたが、アフガニスタンの戦士たちは冗談を言いながらお茶を飲む余裕っぷり。

人間、どんな状況にも慣れるんですね。

 

市民には生活がある

為政者たちは人々の喜びそうな大義を見つけ出してきては人々を先導し、武器を取らせ戦場に駆り立てている。だが、多くの人は、胡散臭い大義などどうでもよく、始まってしまった殺し合いに巻き込まれてどうすることもできず、ただ、一番身近な親や妻、そして子供を守るため戦わざるをえないのだ。(p104) 

本当は市民だけでなく、為政者にも敵にも、全ての人に生活があります。

でも、戦争がそれを見えなくしてしまうんですね。

 

紛争はなぜ起きるのか 

この紛争の原因が、宗教や民族の違いにあるという図式、または、方程式があれば見やすいし解きやすいのかもしれないが、一概にそうとは言いがたいのである。(p106) 

生まれる場所が数kmずれていたら自分だって違う国の国民なのに、なぜはっきりと境界を作って憎み合い、殺し合うのでしょうか。

隣国ならば地理的な境界こそあれ、実際には民族も宗教も入り組んでいたり、どっちつかずの人もいることでしょう。

 

まとめ

佐藤さんは歴史が動く瞬間に立ち会いたいという強い思いに突き動かされ、危険を顧みず戦場にも赴いています。

それほどの強い思いを持った人もいるんだなぁ...人生いろいろですね。

時代の違いもあるでしょうが、24歳で初海外がアフガニスタンの戦場ってすごすぎですね。

男女平等を鋭く描いた一冊

農ガール、農ライフ

「農ガール 農ライフ」

垣谷美雨、2016年、祥伝社

 

派遣切りにあい、心機一転農業にチャレンジする女性の物語。

この本を読んで初めて知ったことですが、新規就農といっても実は祖母や両親が農家である場合がほとんどなようですね。

やはり縁故のない人間は受け入れられにくく、農地すら借りるのが難しいようです。

 

男女平等とは一体

いっそ男女平等などという観念がない方が楽だった。そうであれば、実家が農家の男性に対して、嫉妬や劣等感などが絡み合った感情は持たなかったはずだ。結婚することを目的としているのだから、家付き農地付きの家にと告げると、本来は喜ぶべきなのだ。自分のように、男性に対しても同列にライバル意識を燃やしてしまう女にとって、この世はなんと生きにくいのだろう。(p176) 

 

 同列にライバル意識を燃やしたところで、日本社会はまだまだ男性中心の部分があり、圧倒的に男性が有利になっている場合があります。

体力的にも、やはり男性と全く同じようにはいきませんよね。

 

もちろん、女性ならではの仕事というのもありますから、得意なことを活かしていけば良いのですが、なんでも同じにすること=男女平等と考えてしまうと辛くなってしまうのかもしれません。

 

家族というセーフティネット

私はさ、昔から打算的なことは大嫌いだったし、親がバックについてるヤツなんか、嫉妬心もあって馬鹿にしてきたよ。でもさ、いざ自分もその甘ちゃん家族の一員になってみると、他人には批判されたくないと思うようになった。自分に都合のいいことばかり言うようでナンだけど、生き方は人それぞれだし、頑張れば頑張るほど報われるっていう世の中じゃないからね。家族が支えあってもいいんじゃないかな。空に、何も私が百パーセント向こうに頼っているわけじゃないしね。(p252)

 

主人公の久美子は身寄りがなく、自分の貯金だけを頼りに生きています。

私は家族というしがらみのない、そういう生き方を自由でいいなと思ってもいるのですが、その反面、不安も伴います。

 

実際、久美子は派遣切りに遭い、ある事情から住むところもなくなって貧困状態になります。

先行きが不安な中、誰かと支えあえたら精神的にも経済的にも助かることでしょう。

 

真の「自立」とは

 

この小説にはたくさんの女性が出てきますが、みんな生き方はそれぞれ。

でも、みんな生きることに対して本当にシビアです。

これは、女性ならではなのではないでしょうか。

 

結婚して家庭に入ることも、生存戦略の一つだと思います。

 

この本にはバリバリのキャリアウーマンが出てくるのですが、彼女は家庭に入ったら人生終わりのような見方をしています。

 

私も東大出てまで家庭に入ったら終わりだ、というような極端な見方をしていた時期もありました。

 

しかし、電通の過労死事件があって、自分の力で一生懸命働いて自立した気になっていても、それは結局企業に仕えているだけであって、それで命を奪われてしまったら元も子もない、自分の身は自分で守らなければ、と他人事でなく思うようになりました。

 

私は「自立」という言葉が好きです。

特に女性は、働きたければどんどん外で仕事をして自立すべきだし、自分もそうなりたいなぁと思っていました。

 

しかし、最近思うのは「自立」とは単に経済的な意味だけでなく、精神的なものも含まれる、複雑なものではないか、ということ。

 

たとえ自分で稼いだお金はあっても、誰かに従属しているのならそれは真の自立ではないと思うのです。

 

世間知らずのくせに随分と偉そうですみません。

社会で生きていくのは厳しいと思います。

人に頭を下げることを嫌がっていては、生きていけません。

しかし、人に頭を下げることと、心が従属してしまうことは別だと思うのです。

 

本当の意味で自分の人格を失わないこと。それが真の自立だと思います。

 

家庭に入って家事労働をすることも一つの仕事だと思います。

社会で求められる、人の役に立つ立派な仕事だと思うし、自立しているとも思います。

 

男女平等の意味を経済的な意味だけと捉えると、どうしても矛盾が生じて辛いものがあると思います。