使い捨て社会 人類最大の過ち
私は、大学で高分子化学を学んでいます。
高分子とは、要するにプラスチックのことです。
食品パッケージなど、非常に多様な用途があり、私たちの生活を豊かにしてきたプラスチック。
大学の講義では、教授が
「プラスチックは19世紀最大の発明」と説きます。
しかし、「プラスチックスープの海」(チャールズ・モア, カッサンドラ・フィリップス NHK出版 2012)によると、海にはおびただしい量のプラスチックが漂っているといいます。
それは、単に漁業従事者やごみ収集のシステムを持たない国、観光客が落としたゴミだけでなく、私たちが普段出しているゴミも含まれている可能性が示されています。
ポリ袋はとても軽いので、例えば公園のゴミ箱から溢れたり端がちぎれたりして、河に入ると、たとえ内陸部であってもやがては海に行きます。
陸地から遠く離れた海のど真ん中で大量のプラスチックゴミが漂う異様な光景。
岩場にもプラスチックが溢れ、海鳥がそれを食べて死にます。
ゴミ問題は捨てる人のモラルの問題なのか
しかし、「プラスチックスープの海」では、プラスチックゴミの問題を「捨てる人の問題」と説きます。
つまり、「ちゃんと」捨てないからいけないのであって、きちんと法律を守り、インフラを作って廃棄すればこの問題はなくせると。
しかし、本当にそうでしょうか。
海に漂っているゴミは、世界で年間三億トンも生産されているプラスチックの一部です。
世界では、おびただしい量のプラスチックが使われ、廃棄されています。
それが風に飛ばされないと、どうして言えるでしょうか。
海は陸よりも標高が高いので、一度ゴミ処理システムを外れてしまうと、もう行き着く先は海なのです。
しかも、それは永遠に残ります。
石油から合成されたプラスチックは、比較的新しい物質のため、これを分解できる生物がほとんどおらず、何百年と自然界に残り続けます。
確かに、海洋プラスチックは由々しき問題かもしれない。
でも、大部分のゴミは焼却または埋立されているから問題はないのではないか、と思われるかもしれません。
しかし、埋め立てもいつまでも続かないのです。
環境省によると、日本の埋立場は全国平均であと約20年でいっぱいになり、新しい場所の確保は難しいそうです。
東京都内の清掃工場の方に以前お話を聞いたことがあるのですが、東京23区内のゴミを埋め立てている場所はあと50年でいっぱいになり、そのあとは埋め立てる場所がもうないそうです。
リサイクルしているんじゃないの、と思われるかもしれません。
しかし、プラスチックと一口に言っても、化学構造のことなる膨大な種類があり、様々な用途に使い分けられていて、分別は困難を極めます。
パッケージに「プラ」と書いてあるだけなのだから、そもそも分けることができません。
教授でさえ、見ても識別できないと言っていました。用途で推測はできるそうですが。
ペットボトルでさえ、リサイクル率は30%を切っています。
あるデータでは「リサイクル率70%」を謳っていましたが、そのうち40%以上は「サーマルリサイクル」、つまり焼却です。
他のゴミと同じで、燃やしたら埋立場です。
しかも、清掃工場の方に聞いた話では、リサイクル材料は汚れていたりして質が悪いので欲しがる人がおらず、集めても結局燃やしてしまうことがあるそうです。
おそらく一般的な「リサイクル」のイメージは、「ゴミが新しいものに生まれ変わる=マテリアルリサイクル」なのだと思います。
しかし、マテリアルリサイクルを行うためには、まずプラスチックの種類を分別しないといけません。
ごちゃごちゃに混ざった状態から、価値のある新しい製品など作れないからです。
実際には、PETのように単一用途のものを組織的に集めているのでない限り、無数の種類のプラスチックを分別することは不可能です。
プラスチックのリサイクルは、非常に難しいのです。
しかも、仮に技術的に可能になったとして、それにかかるコスト、そして何よりそのリサイクル材料に需要があるのか、を考えなければなりません。
作っても人が欲しがらなかったら、PETのようになるだけなのです。
プラスチックは、どこまで行ってもどん詰まりなのです。
私は、ゴミの問題は大量のプラスチックを製造してきた化学メーカーの責任であると思います。
それを、使う側に責任転嫁して、しかもきちんと処理すればゴミ問題はきれいさっぱりなくなるかのような論調は許せません。
プラスチック研究の実態
プラスチック研究の動向としては、生分解性プラスチックと植物由来プラスチックの研究が今、盛んに行われています。
生分解性プラスチックとは、生物により分解できるプラスチック。
これは、海に流れてもやがて分解されるので、海洋プラスチックの解決策となります。
そして、植物由来プラスチック(バイオマスプラ)とは石油ではなく、植物由来の成分を利用して作られるプラスチックです。
注意していただきたいのは、生分解性プラスチックと植物由来プラスチックは異なるということです。
つまり、植物由来プラスチックであることと生物により分解ができることは無関係です。
そして、今メーカーから求められているのは、植物由来プラスチックの方です。
生分解性プラスチックは最終的に分解されることを前提に作られているので、石油由来のものほどは強度がありません。
だから、そもそも生分解性プラスチックに強度を求めることが間違っているのです。
しかし、企業は強度や利便性を求めました。
そこで、植物由来のプラスチックならばカーボンニュートラルでいいじゃないか、という発想に至ったわけです。
植物由来プラスチックは原料が石油でないだけで、分解もできないし、リサイクルもできません。
要するに、従来通りにプラスチックを作り続けたいだけなのです。
石油を原料にしていると、いつか資源が枯渇します。
ところが、植物由来ならそれはない。
しかもカーボンニュートラルで、環境に良いアピールもできる。
騙されないでください。
植物由来プラスチックは従来のプラスチックと本質的には全く同じものだし、ゴミ問題にとってはなんの解決にもなりません。
ちっとも環境に優しくないですよ!
植物由来プラスチックの製造には余計コストがかかりますが、そのためにお金を出す必要なんて全くないと思います。
私は、プラスチックの台頭による大量廃棄社会、使い捨てライフスタイルは人類の過ちだと思っています。
いつまでこんなことを繰り返したら気が済むのでしょう。
ゴミが溢れ、いつでも自分の視界にちらつくほどに地球上の場所を占めないと、問題を認識できないのでしょうか。
私は、使い捨てプラスチックを断固拒否します。
そして、社会にはこうした「ゼロウェイスト(zero waste)」のライフスタイルを選択している人が多くいます。
あなたも、この新しいムーブメントに加わりませんか。