読書 VS ネット検索
今回は、情報社会の真っ只中で「本を読む」ことの価値について、私の考えを書いていきたいと思います。
今これだけインターネットが発達し、テレビ、ラジオなど様々な媒体がある中で、情報収集の手段として本を選択している人が少なくなっているのを感じます。
その中でも、私があえて本を選択している理由は、
こちらの記事でも書きましたが、色々とメリットがあると思ったからです。
しかし私が本を読んでいる理由は、「学ぶ」ことに価値を感じているからです。
本を読んでいると、自分が学んでいることを実感できます。
ネットで検索をして、何かを知っても、「学んだ」と思うことは少ないのではないでしょうか。
ネットでは情報がすぐに手に入りますが、「学び」はそんなに瞬間的にできるものではないと思います。
私は人生で一番大事なものは時間だと思っていて、ある活動に対してどれだけ時間をかけたかによって価値が付与されていくものだと思います。
本を読むことには一定の時間が必要ですが、その分学びになり、価値のある「知識」として蓄積されていくと思います。
私は、学ぶことそのものに楽しさや価値があると思います。
「勉強」というと辛い、苦しいというイメージがつきものですが
(中国語で「勉強」は無理強いするという意味で、勉強のことは「学習」と言います。)
広い意味では、人間誰しも学んでいるのだと思います。
部活に打ち込んで勉強はさっぱり、という高校生は、部活で技術やチームマネジメントなど多くのことを学んでいるはずです。
ゲームに夢中な小学生は、ゲームの攻略法について学んでいると思います。
実際、私は小学生の頃ポケモンのゲームが大好きで、毎日深夜までやっていました。
そのおかげで、今とても視力が悪いです…
勉強そっちのけで、学校の宿題もやっていませんでした。
塾も通ったことがありませんでした。
後々一念発起して東大を目指すようになり、鬼のようなガリ勉生活が始まるわけですが…
今になって思うのは、ゲーム漬けの毎日からの学びも大きかったと思うのです。
私は戦略を考えるのが苦手で、ひたすらコツコツとレベルをあげていって力で押しつぶすという戦略にもなっていないような戦略でポケモンを育成していました。
これ、私の受験勉強のスタイルともすごく似ています。
つまり、ゲームをすることでゲームの攻略のみならず、自分自身のこともわかってきたということなんですね。
時間をかけて取り組めば、どんなことでも「学び」につながる、というのが私の持論です。
そうすると、別に本を読まなくても、学ぶためにはなんでもいいということになってきます。
そうです、なんでもいいのです。
しかし、私が危惧しているのは、ネットによりあまりに瞬時にできることが増えたために、時間をかけて学ぶ機会がなくなり、また時間のかかるアナログ的活動は価値のないこと、時間の無駄だと軽視されてしまうことです。
散漫な文章になってしまいましたが、まとめると
・読書の価値=学び
・学びには一定の時間が必要
・どんなことでも学びになるけど、読書は学びの洗練された手段である
こんな感じです。
うーん、でもなんか上手く言えなかったな…
また、考えがまとまったら書きたいと思います。