東大生の読書ライフ

東大生の読書ライフ

東大生による書評ブログ。

マイペースで行こう

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「曇り、ときどき輝く」(鎌田實、2018年、集英社

 

この前ラジオを聴いていたら、たまたま鎌田先生がゲストで登場。

私は鎌田先生のことは全く知らなかったので、どうやら長野県で大活躍しているお医者さんで「温もりの伝道師」なんて紹介されていたものだから、一体何者なんだと思いましたw

 

声がとても若くて、40代くらいかなぁと思って聴いていたら今年70歳だそうで、びっくりしました。

お話の内容がとても良かったので、紹介されていた新刊を早速読んでみることにしたのです。

 

一人一人の輝きで、未来を明るく

 

世界でも、日本でも、おかしなことが多い。秋空のように心がスカッと晴れ渡ることは少なく、どんよりとした曇り空が広がる。そんな時代に僕たちは生きている。だからこそ、一人ひとりが光を発し輝いて、頭上を覆う雲を吹き飛ばそう。(p20) 

 

この言葉、すごく好きです。 

今の社会に閉塞感を抱くことはあっても、自分の力で明るくしようと思ったことがあっただろうか。

 

これからは、何か思うことがあったら批判するだけじゃなく、どんどん行動しよう。

そして、周りの人や社会に少しでも光をさせるような人間になりたい、そう思わされました。

 

 

仕事は幸せになるための道具。目標ではない

 

大事なのは、僕たちは幸せに生きるために生まれてきたということ。幸せになるための道具の一つとして、仕事があること。仕事は決して目標ではないのだ。(p163)

 

この章では、過労死した高橋まつりさんについて言及されています。

あの事件はかなりショッキングで、私の人生観や仕事に対する考え方にも影響しました。

 

これから就職するにあたって、自分の人生の主人公はいつも自分でありたいと思うのです。

 

 

愛とは醜いもの

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「愛なんか」(唯川恵、1999年、幻冬社

 

恋は一時の病気

 

恋はいつも終わるものだ。恋が永遠だなんて、そんな子供じみたことはもう考えていない。恋は病気にかかったようなものだから、熱に浮かされる時期が過ぎれば、冷静な自分が戻ってくる。問題は、恋が終わったその後だ。そこから愛という形になりうるのか、それとも別れを選ぶのか、そこで二人は立ち止まり、お互いをはすかいに見つめながら考える。そしてさらに問題なのは、その結論は往々にして一致しないということだ。(p10)

 

 

 

これ、すごく分かるなぁ。

まるで私のことを見ているんじゃないかというくらい当たっていて、怖いですw

というか、これが恋愛の真理なのかもしれないですね。

 

 

お金では測ることのできない価値のあるもの

 

いくらいるの?一万円?それでいいの?返す事なんて気にしないで。もう一万渡そうか?お金を借りることに遠慮なんかいらないわ。お金は、あるところからないところに回ってゆくものよ。友達にだって借りたっていいと思うわ。よく、お金で友情が壊れるっていうけど、私はそうは思わない。それは最初からその程度の友情だっただけよ。本当の友情ってそんなことで壊れたりしないわ。それに、あなたはお金を借りたかもしれないけど、お金では測ることのできない価値のあるものを、友達に与えてあげているはずよ。友達だって、そのことがわかっていれば、貸さないとか返せとか、細かいことは言わないわ。本当の友達であればあるほど、相手に甘えることも大切なの。(p43)

 

 

 

これは、お金にだらしのない男に貢ぐ女のセリフです。

私はこういう考え方、大嫌いですw

お金にルーズな人とは絶対に関わりたくないと思っています。

 

しかし実際はルーズな人がいることも事実で、このセリフはルーズさを正当化する心理を的確に言語化していると思いました。

嫌すぎて、かえってスカッと(?)します。

 

この本に出てくる女性たちは皆、すごいドロドロしています。

唯川さんがあとがきで書いていましたが、ここにはきれいな恋愛感情なんかどこにもなくて、女とか人間の嫌な部分やダメな部分が全面に出ています。

読んでいて、うわ、こういうのすっごい嫌だなーと思うのですが、それでもページをめくる手を止められなくて、心の底では共感してしまう、そんな小説です。

 

やっぱり「愛なんか」、どれだけ美辞麗句で飾ってもこんなものだ、ということなのだと思いました。

 

 

林業という哲学

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「山と村の思想」(1979年、榛村純一、清文社)

 

日本の国土の実に3分の2は森林です。

(私はこのことを農学部の授業で初めて知りました。都市しか知らない者には、日本が山がちであることはなかなか実感しにくいのです。)

 

今の日本では安い外国産の木材をどんどん使うようになったため、林業は斜陽産業と呼ばれて久しいです。

国産材の生産は採算が取れないために撤退する人が相次ぎ、山村は過疎化し、充分に木が育っているのに放ったらかし状態の山が多くあります。

 

鬱蒼と茂る森はいかにも環境に良さそうですが、実際は木は成長するために二酸化炭素を吸収するため、育ちきってしまった森の木々は実は人間と同じように酸素を吸って二酸化炭素を吐くのみで、二酸化炭素削減の観点からいえば全くエコではないのです。

 

地球温暖化を本気で考えるなら、育った木はどんどん切って使い、新しい木を植えないといけないのです。

今こそ、林業を復興させる時だ!!

 

最近では映画にもなった「神去なあなあ日常」(三浦しをん)の影響もあり、林業に飛び込む若い人たちも増えているみたいです。

 

 

森林の機能

 

教育思想集団となる機能<思想運動体となる機能、奉仕・無償機能>a.山村、自然、林業、木材に関する技能集団としてb.大都市的価値観、効率本位の石油文明への批判集団としてc.生きる醍醐味(本物の味)を知る少数精鋭の信条集団として(p102 

 

林業の機能」として、よく知られている「保水機能」「癒し」などと並んでこれが書いてありました。

 

この本のタイトル「山と村の思想」にもあるように、榛村さんがこの本で伝えたかったメッセージはまさにこれなのだと思います。

 

榛村さんは、ご自身が林業に長年携わっってきたということもあり、林業に対する思い入れが深く、あまりに深すぎてカルトめいた感じも否めませんが、話半分で見ても共感できました。

 

石油文明への批判は、私が常日頃から思っていることです。

石油の枯渇やゴミ問題が深刻化する中、なぜ日本ではペットボトル入りのコーヒーやビール、ごま油が新しく売り出されるのでしょうか。

欧米では使い捨てプラスチックの規制がどんどん厳しくなるというのに。

日本は世界の流れに逆行しています。

 

今後、石油に代わるものが木材であり、これからは林業の時代だと私は思っています。

 

 

雌として扱われる女性

 

山村の活力維持において最も大切なことは、嫁(山村婦人)の問題である。戦前、農家の嫁は、「乳役兼用無角牛」が理想とされたが、今でも山村の嫁には、過疎のしわ寄せもあって、これに類したことが要求されているかにみえる。したがって嫁がこない。自分の嫁は都市へやりたいが、自分の家へは農林業をやる嫁をほしい、というのはもう通用しないことであろう。あえて通用させたとしたら、山村の農林家は劣性遺伝化していく危険がでてくる心配がある。(p65

 

私は女性なので、この現代のジェンダー観から大きく逸脱した「乳役兼用無角牛」を見て絶句してしまったのですが、この本が1979年に書かれたことを考えると、まぁ仕方のないことなのかも知れません。

この他にも「劣性遺伝化」など、女性蔑視、また人権侵害的表現が端々に出てきてちょっと引っかかってしまいました。

 

とはいえ、これは榛村さんの意見というよりは当時の日本の考え方の表れだと思います。

榛村さんの論調は「乳役兼用無角牛」を批判していることを念押ししておきます。

 

何かとうるさい今となっては表立ってこのようなことは言わないまでも、もし女性に対する「乳役兼用無角牛」という考え方が根強く残っているとしたら、私としては残念だし、そんな社会に出て行くのはかなり不安です。

(いくらなんでも牛ってひどすぎるだろ、牛って